白隠展の迫力をお裾分け! 思わず感動した書画(解説付き)の段 其の壱

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渋谷のbunkamuraにて開催された「白隠展〜禅画に込めたメッセージ〜」を、最終日に観に行きました。

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展示されていた生の写真は撮れなかったのですが、購入した図録より感動した書画を紹介していきたいと思います。(解説文は、図説からの引用。写真も図説よりスキャンしたものです)

 

まず、其の壱で取り上げたのは、隻履達磨、出山釈迦、蓮池観音、地獄極楽変相図です。

次の其の弐で取り上げる予定なのは、達磨シリーズ。眼ひとつ達磨、半身達磨×3です。そして、其の参で取り上げる予定なのは、大燈国師、すたすた坊主、布袋吹於福、鍾馗鬼味噌、百寿福禄寿です。最後の其の肆で取り上げる予定なのは、富士大名行列、七福神合同船、隻手、動中工夫です。

 

 

まずは、其の壱4作品を紹介していきます。

 

 「隻履達磨」龍獄寺(長野県)

白隠展に入ると、すぐに目に入る迫力の絵画。綿密に練られた他の絵との違い、この絵だけでかなり圧倒された。

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ぬぅっ、とあらわれた、異様なほど頭でっかちの達磨。絵を見るこちらに何か言いたそうだが、目が合いそうで合わない。なぜなら、左右の瞳の位置が著しくずれていているから。しかしそれがかえって、異様な迫力をもたらしている。

この絵は、達磨増であると同時に、白隠の自画像でもある。達磨も、布袋も、お福さんでさえも、白隠が生み出したキャラクターは、自らの分身として雄弁にメッセージを伝えようとする。縦二メートル近いこの大幅は、数ある達磨像の中でも、自画像的な要素がもっとも濃厚な作品である。

片方の履(隻履)を持っているのはどういうわけか。達磨が没して三年後、宋雲という僧が西域に行く途中、達磨に出会った。見れば、片方の履を持っている。天竺へ帰るところだという。そして、あなたの主君は亡くなってしまったと告げる。国に帰ると、たしかに主君は亡くなっていて、達磨の墓を開いてみたらお棺は空っぽ、片方の履だけがあったという。賛は、中国の皇帝が天竺から来た達磨をいかに大切に思っていたかを物語る内容で、この画題は、日本でも室町時代以来描き継がれてきた禅宗絵画の定番である。だが、これほど大胆な表現の隻履達磨は空前絶後である。

賛は、達磨の体をなぞるように、狭い余白に目一杯大きな字で記されている。賛を入れるスペースを考えずに、思いきり伸び上がるような絵を描いてしまったのだろう。うんとずれてしまった下書きの線が下方に残っていることが、そんな制作過程を物語る。従来、本作は宝暦七年(1757年)、七十三歳の時、龍嶽寺がある長野県の下伊那地方に赴いた際に描かれたものと考えられてきた。だが、脱力をすさまじいパワーに転換するような作風から見て、八十歳代の作である可能性もあるのではないか。これほどの大作、旅先で描いたのではなく、後に届けられたものと考えても不自然ではない。 (p36より引用 山下)

 

 

「出山釈迦」自性寺大雅堂(大分県中津市)

 

ギリギリまでの苦行の成果。思わず、聖おにいさんを少し思い出してしまった。

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現存するものだけで数百点もある達磨像ほどではないが、白隠はかなりの数の釈迦像を遺している。だが、そのほとんどはいわゆる出山釈迦像。悟りを開いた後に衆生に教えを説く落ちついた姿ではなく、苦行の果て、あばら骨が浮き、足の爪が伸び、髭ぼうぼうで山を下りてきた釈迦の姿に心寄せる。一連の出山釈迦像は、達磨像に比べて明らかに若い容貌であり、白隠は自らの若き日の苦行をイメージしているのではないか。

珍しく四角い枠の中に記された賛は、山から下りる釈迦の姿を形容したそっけない文言。白隠ならではの激しい物言いはしていない。概して、釈迦像に寄せる賛は短く簡潔なもので、実は仏祖に対する屈折した思いが反映しているのかもしれない。大分県中津市の自性寺に伝来した作品。ここには「富士大名行列」も伝来しており、白隠にとって特別なコミュニケーションがあった寺である。(p38より引用 山下)

 

 

「蓮池観音」

 

この観音様はすごく優雅でのんびりしている。展覧会の詳細を読んだみたところ、かなり皮肉ってる作品だと知り驚いた。11歳から仏門に入ってれば、マザコンにもなるよなぁ。

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 観音は、白隠にとって特別な意識で描いた画題だったと思われる。その理由を以下に列挙すれば、まず、絹本に描いたものが多いということ。そして、下書きの線が残っているものが少ないということ。そしてさらに、他の画題では、達磨でも釈迦でも布袋でも、ある意味、白隠の自画像ともいうべきキャラクターとなっているのに対して、観音のみは、女性像であることを強く意識して描いているということ。

この一幅は、絹本にきわめて丹念に描かれた大幅。他の白隠画に比べて上質な絵具が絹地に染み通って、美しい。これほど慎重な筆遣いは、他にちょっとない。それゆえに、かつてこれを偽作とする見解が表明されたこともあるが、白隠にとっての観音という画題の特殊性を理解していないがゆえの、的外れな意見である。

画面右端、衝立に蝋引きで記される賛を現代語訳すれば、「菩薩が衆生を救わんとされる大願は、海よりも深いというではないか。それなのに、こういう俗塵を離れた別世界にやって来て骨休めしているとは、」ということになる。白隠にとって、もっとも美しい表情見せる母の肖像。ようするに、マザコンだったのである。

なお、浮遊するような蓮池の表現は、かの伊藤若冲の「動植綵絵」のうち、「蓮池遊魚図」に一脈通じる。若冲はこのような白隠の観音図を見ていたのではないかと想像したくなる。(p46より引用 山下)

 

 

「地獄極楽変相図」清梵寺(静岡県)

 

こどもの落書きのようで異様に怖かった作品。

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 清梵寺は松蔭寺の隣にある。地蔵の寺として有名である。現在でも七月の地蔵の縁日に懸けられる。住時は地蔵会の参詣者に対して絵説き説法したのであろう。この絵で特に「白隠的」特徴として注目されるのは、閻魔大王の左側に描かれたアーチ型の石橋である。石橋の上の人物群は、左から右へ「幼→老」の順で描かれている。中世から「熊野曼荼羅」などに見られる「老の坂」である。ここに描かれているのは、白隠が『辺鄙以知吾』などの仮名法語でくりかえし説くテーマである。過去積善の余得によって富貴の身に生まれた君主は、その栄耀に奢り、多くの美婦人をはべらせ、贅沢三昧の生活をしているが、その結果、民百姓を収奪し苦しめる。このような人たちは死後には必ず地獄に堕ちる、といった趣旨を絵画化したものである。図中に見える短冊形の枠は、それぞれの地獄の場面の題を書き入れるためのもの。左下方の「世間ノメカケモチ」以外は空白で未完である。(p54より引用 芳澤)

 

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